社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

2010年7月24日第3回研究会 床呂郁哉発表要旨

基幹研究人類学班(AA研) 第3回研究会
2010年7月24日(土)

「人類学におけるミクロ/マクロ・アプローチ -養殖真珠をめぐるMulti-Sited Fieldwork」

床呂郁哉(AA研)

【発表要旨】

現在までに報告者が研究として実施してきた真珠の養殖の事例を題材にして、Multi-Sited Fieldworkの手法を活用した「もの」の人類学的研究の理論的な可能性について報告を実施した。報告者は日本各地におけるアコヤ貝真珠養殖の現場ならびに東南アジア、オセアニアの真珠養殖現場(白蝶貝真珠および黒蝶貝真珠)をMulti-Sited Fieldworkの手法を使用して調査・研究してきたが、その過程で浮かび上がってきたのは、真珠という「もの」の生産をめぐっては生産者(養殖技術者)の身体性という問題、次に生産の場をとりまく環境という問題が複雑に相互連関しており、このダイナミクスに然るべき注目を払うべきであるという点であった。

まず真珠養殖をめぐる「身体性」について述べる。各地の真珠養殖をめぐる技能については、真珠養殖技術者のためのマニュアル・教科書的なテクストなども作成されているが、そうした言語化された教科書的知識だけで習得が不可能なのはもちろん、先輩などから挿核作業などについて現場で指導を受けても、それを実際に自分の身体で覚えるまでは完全に習得したことにはならないとされる。実際に「先輩から言葉で聞いただけでは駄目。自分の身体で覚えないと身につかない」といった語りを真珠養殖現場でしばしば聞かされる。真珠養殖にとって中核的な工程である挿核手術などにおいては、手先の器用さと同時に、貝を目で見て、その貝の体力や状態を見極める鋭敏な感覚など、養殖の実践を通じて自分の身体で覚えた経験の蓄積が大きく出来映えを左右するのである。真珠養殖に必要な技能は言語化され明示化された知識では限界があり、実践を通じて自分の身体で覚えた、いわば身体化された知識(embodied knowledge)としての側面を強く持っている。

このように一方で真珠養殖の過程は理論的には伝統的な工芸生産における「職人」的なものづくりをめぐる人類学の議論や、認知科学や教育学等で有名な「実践共同体」や「身体化された心」(embodied mind)の議論などと親和性が高いように見え、実際にその生産者(養殖技術者)の「身体性」ないし身体化された実践知に着目することなしに真珠養殖の過程を理解することは困難である。

 ただし真珠の養殖過程においてはこの「身体」という参照軸の他にも「もの」としての真珠の生産において極めて重要なファクターが存在する。それは結論から言うと「環境」という要素である。ここで言う「環境」は何も生態(自然)環境に限らず、真珠養殖や流通をめぐる社会・経済・文化的な環境も含むものであるが、ここではそのうち生態環境に絞って簡略化して述べたい。アコヤ貝にせよ白蝶貝、黒蝶貝などにせよ、いずれも海に全面的に生存を依存し、人間から見ると一見、微細な生態環境の変動にも鋭敏に影響され、場合によっては斃死などに至る繊細な生き物である。

とくに1997年頃から日本のアコヤ真珠養殖現場ではいわゆる大量斃死が大きな問題として浮上してきた。これは愛媛や三重などをはじめ各地のアコヤ貝(とその真珠)へ壊滅的な打撃を与えたものであり、ウイルス説、魚の養殖や密殖、水質汚染の影響など様々な原因が取り沙汰されたが未だに決定的な原因確定には至っていないとされる。こうした斃死率の上昇は海外の真珠養殖現場においても認められ、たとえばフィリピンのパラワン島周辺では地元における違法な漁業(サイアナイド、ダイナマイト漁等)などの要因による漁場環境の劣化や、あるいはエルニーニョやボルネオ森林火災による煙害と連動しているとされる異常な水温変動などが起きるなかで白蝶貝の斃死率上昇などが報告されている。

 こうした状況への対応として、真珠養殖業者の中には、従来とは異なった種類の技術や母貝の導入などを試みる者が増加している。このため、昔(1990年代以前)に比べて現在の方が養殖に関して知らなくていけないことが格段に増加していると指摘される。たとえば日本のアコヤ貝真珠養殖においては、従来の国産の天然の母貝に、(高水温に強いとされる)中国産の母貝を掛け合わせたいわゆる「ハーフ貝」を導入するという技法が一般的になりつつある。そして同じハーフ貝でも母貝販売業者ごとに母貝の性質が微妙に異なり、その特性を知らないと成功しない。この他にも詳細は省くが多くの新技術の導入が真珠養殖現場で試行錯誤的に実施されつつある。

しかし、興味深いのは、こうした養殖技術の変化に対し「ベテランの人ほど逆についてゆけない」という指摘がされている点だ。 生態環境の劣化に伴う養殖技術の変化は、ベテラン、熟練した者ほど今までの身体化された経験に囚われて、逆に変化にうまく対応できないという状況もこうして一方では生まれつつあるのである。こうして特に真珠のような環境依存的な「もの」づくりの場合には、いわゆる「実践共同体」論におけるような相対的に固定化されたスキルや技能の身体的習得という視点だけでは限界があり、「環境」の変動に伴った技能の再・最適化といういわば「メタ学習」的な視点への注目が必要となってくる。