社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

2019年度日本文化人類学会次世代育成セミナー/東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所基幹研究「人類学におけるミクロ-マクロ系の連関」文化/社会人類学研究セミナー

日時: 2019年11月17日(日)14:00~17:30
会場: 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)304・306室
    〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1

プログラム(第1会場304室)
■14:00~14:05
開会の挨拶 松村圭一郎(岡山大学)

■14:05~15:35
阿由葉大生(東京大学大学院)「国民健康保険制度の記述的研究―国民皆保険のインドネシアにおける公営一次診療所の管理政策および診療所の戦略を中心として」
コメント 浜田明範(関西大学)
質疑応答

■15:45~17:15
長岡慶(京都大学大学院)「毒盛りによる病い―インド北東部タワンにおける病いの物語と薬の連関」
コメント 浜田明範(関西大学)
質疑応答

■17:20~17:30
講評 松村圭一郎(岡山大学)、床呂郁哉(東京外国語大学AA研)
閉会の挨拶  西井凉子(東京外国語大学AA研)

プログラム(第2会場306室)
■14:05~15:35
大島崇彰(首都大学東京大学院)「デザインを創り変える―現代のパチンコ遊技体験と『オカルト』行為」
コメント 市野澤潤平(宮城学院女子大学)
質疑応答

■15:45~17:15
黄潔(京都大学大学院)「精霊とともに生きる日常―中国南部トン族のメェチュイ現象をめぐる憑霊信仰の一側面」
コメント 川野明正(明治大学)
質疑応答

*発表30分、コメント20分、質疑応答40分

**セミナー終了後は、多磨駅周辺において参加者・関係者による懇親会を予定しておりますので、こちらにも積極的にご参加ください。出欠は当日、会場においてとります。

共催:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 基幹研究「人類学におけるミクロ-マクロ系の連関」文化/社会人類学研究セミナー/ 日本文化人類学会

<発表要旨>
「国民健康保険制度の記述的研究:国民皆保険のインドネシアにおける公営一次診療所の管理政策および診療所の戦略を中心として」/ 阿由葉大生(東京大学大学院)
今日、保険は至る所に見ることができる。様々な将来の不幸について、資金のプールによって対応しようとする保険は、経済、予測、モラルなど多くの諸問題の結節点となっている。とくに、我々の生命そのものをリスクとして統治しようとする国民健康保険は、人々のふるまい、社会に対する想像力、ライフスタイル、医療提供などの諸問題の結節点となっている。本稿ではまず、背景としてインドネシアの社会政策上、社会保険という技術や思想が近年登場したことを指摘する。次に、近年国民健康保険制度が構築されつつあるインドネシア共和国において、国民健康保険を実施する側がどのように保険という技術、思想を導入したのかを典型的な2名のテクノクラートに絞って展望する。最後に、国民健康保険が開いた治療の提供という事態が、いかにして官僚制、患者、そして治療提供の主である公設診療所で展開するのか、そしてそれがいかにして社会と結合するのかを検討する。

「デザインを創り変える――現代のパチンコ遊技体験と「オカルト」行為――」/ 大島崇彰(首都大学東京大学院)
 本稿は、現代日本のパチンコ遊技体験を、ナターシャ・ダウ・シュールの分析枠組みを手掛かりとして、「機械」に付与されたデザインと遊技者「個人」の間の相互作用によって形作られるものとして捉えた上で、パチンコホールのデザインに誘引され、合理性と予期可能性の追求に囚われる遊技者、同時に「オカルト」行為によってそのデザインをかいくぐり、遊技を楽しむことができる遊技者、双方の姿を捉えることを目的にする。
 パチンコ遊技は1980年に導入された「フィーバー機」によって、技術を介して遊技者とホールが対峙し合うものから、偶然と確率が支配するものへと変化した。その中で「熱心」な遊技者は、ホールが提供するデータや情報をもとに、計算に基づく予期可能性を見出せるものとしたが、それは遊技者とホールという圧倒的な非対称的関係を前提に、遊技者を誘引しようとするホールの思惑通りの結果であった。
 こうして遊技者は形式的合理性のみを追求する「主体のマクドナルド化」に陥り、遊技性を欠いた無味乾燥な遊技にのめり込んでいったかのように思われた。しかしながら、実際には遊技者は自らの遊技経験に基づいて、「オカルト」行為を創造していた。それは非合理的な分析やそれに基づいた判断をパチンコ遊技に持ち込むことに他ならないのであるが、結果的にホールのデザインに誘引された「主体のマクドナルド化」から逸脱して主体的に遊技することを可能にしており、すなわち遊技者自身による物語の創造になっていると言える。

「精霊とともに生きる日常―中国南部トン族のメェチュイ現象をめぐる憑霊信仰の一側面―」/ 黄潔(京都大学大学院)
中国華南少数民族の蠱毒の民俗や霊物信仰に関する川野の文化人類学的研究は、これまで研究の蓄積のある日本民俗学の憑きもの信仰論と類似する状況にあることを明らかにする上での傍証として注目されてきた。具体的にいえば、ある霊物や蠱毒を使役する家庭や家系があるとされ、それらの家庭は周囲に害を与えるため、婚姻や交際忌避などの扱いを受けてきた。そしてこのような信仰の伝承は、農村部の民俗社会への理解のための説明体系としての意義を有すると指摘されていた。本論では、川野氏の中国南部の蠱毒研究において、ほとんど注目されてこなかったトン族のメェチュイ(チュイもつ/チュイがついていることを意味)と呼ばれる憑霊現象を研究対象とする。
従来メェチュイ現象に関する先行研究では、主に憑きものとしてのトン族のチュイ(狭義でオニを意味)が他人に悪い事態を引き起こすといったマイナスの面に着目し、憑きもの筋とされるメェチュイの家系との交際・通婚忌避が行われるトン族の民俗社会の状況を論じてきた。しかしチュイというトン族の民俗語彙は、広義で精霊全般を意味するため、メェチュイ現象は憑きもの筋に関与するとは限らない。この点については、日本の憑霊信仰論に関する小松・梅屋・中西らの民俗学の知見と大幅に重なったため、本論では、それらの日本民俗学のモデルをトン族の事例に応用し、メェチュイ現象をめぐるトン族の憑霊信仰の性格と特徴を明らかにすることを試みた。具体的には、ベエマ(白馬)やチャイノンチェン(山兄弟)などのメェチュイ現象に関する語りの分析により、現地の信仰体系と世界観を背景とし、また人間や動物に憑かれ加害できる病因観に基づいた、トン族の霊物のかなり数多くの存在、そして日常生活において、周りにいるそれらの精霊は人々とともに生きていることなどを明らかにした。

「毒盛りによる病い―インド北東部タワンにおける病いの物語と薬の連関―」/ 長岡慶(京都大学大学院)
 本稿の目的は、インド北東部タワンにおける毒盛りの言説に焦点をあて、人々がどのように毒盛りによる病いを経験し、それに対処しているのかを論じる。毒盛りによる病いは、病院の医薬品や仏教儀礼では治すことができないとされ、恐れられている病気である。それは、ドーマと呼ばれる毒盛り女によっておこなわれ、毒を盛って相手を殺すことで相手の功徳を奪うとされる。このような毒盛りによる病いや死は、チベット・ヒマーラヤの境界地域で広く報告されており、仏教理論の観点からの議論のほかに、人類学における贈与交換論の視点から歓待の場における食物と毒のやりとりが論じられてきた。しかし、従来の研究では、歓待におけるホスト=ゲスト関係に議論の枠組みを限定したために、ドーマの社会的位置づけや日常におけるドーマと人々の相互交渉については十分にとらえられてこなかった。さらに、毒盛りによる病いは村の民間薬によって治療されることから、民間薬を通して実際どのように問題が解決されるのかという点についても考える必要がある。そこで、本稿では従来の贈与交換のアプローチではとらえられてこなかった毒盛りをめぐる人々の病いの経験に注目し、ドーマ、人々、薬の相互関係について災因論や物語論、ジェルのアート・ネクサス論を参考に検討する。タワンの人々が語る毒盛りは、生得的に継承されるドーマの存在や目に見えない毒など妖術としての特徴がみられる一方で、妖術研究においてさかんに論じられてきた告発や儀礼的解決がほとんどおこなわれず、恨みや妬みといった感情や人間関係の軋轢が明らかにされることがない。毒盛りの実在は、告発ではなく民間薬の作用の有無によって証明される。そこで、病いの経験を検討する際に、いかに語られるかだけではなく、民間薬の物質性がいかに病いの語りを媒介し人々の生きる世界を変えていくのかについて、ジェルのアブダクションの概念を用いて考察する。