社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

「体制転換の人類学」

基幹研究「アジア・アフリカにおけるハザードに対する「在来知」の可能性の探究―人類学におけるミクロ-マクロ系の連関2」公開シンポジウム
タイトル:「体制転換の人類学」
日時:5月20日(金)~21日(土)
会場:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所マルチメディア会議室(304) 

みなさま
AA研では、基幹研究「アジア・アフリカにおけるハザードに対する「在来知」の可能性の探究――人類学におけるミクロ-マクロ系の連関2」の主催により、下記の公開シンポジウムを開催いたします。みなさまのご参加を心よりお待ち申し上げております。

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基幹研究「アジア・アフリカにおけるハザードに対する「在来知」の可能性の探究――人類学におけるミクロ-マクロ系の連関2」公開シンポジウム

タイトル:「体制転換の人類学」
日時:5月20日(金)~21日(土)
会場:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所マルチメディア会議室(304)  (http://www.aa.tufs.ac.jp/ja/about/access)

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☆「体制転換の人類学」趣旨☆

 革命、社会主義からの移行、独裁政権の崩壊、複数政党制と市場経済の導入・・・。従来つづいてきた政治・経済体制が転換点を迎えるとき、マクロなものとミクロなものがせめぎあう「社会」の場では、なにが起こり、なにが変わり、なにが継続していくのか。政治エリートや実業家ではなく、体制転換を生きる市井の人びとの理想や価値、文化や慣習の様態こそがここでの主題となる。気鋭の人類学者4名が、カリブ、東欧、アジア、アフリカの具体の場から問い直す。


☆プログラム☆

5月20日「体制転換の人類学(1)――田沼幸子『革命キューバの民族誌』合評会+映像上映会」

14:00~14:45 挨拶:西井
         発表&解題: 田沼幸子(首都大学東京)
14:45~15:45 映画上映Cuba Sentimental
15:45~16:00 休憩
16:00~18:00 コメント1:佐久間寛(AA研)
         コメント2:中村隆之(大東文化大学)
         コメント3:大杉高司(一橋大学)
         質疑応答
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5月21日「体制転換の人類学(2)――東欧、アジア、アフリカにおける体制転換と社会」

14:00~15:20 挨拶:西井凉子(AA研)
         趣旨説明:佐久間寛(AA研)
         発表(1):神原ゆうこ(北九州市立大学)「体制転換後の村落における社会変容と人々の意思と実践:『デモクラシーという作法』自著解題を兼ねて」
         コメント:清水昭俊(AA研)
15:20~15:35 休憩
15:35~16:35 発表(2):津田浩司(東京大学)「体制転換とインドネシア華人:『「華人性」の民族誌』への著者解題」
         コメント:内堀基光(放送大学)
16:35~16:45 休憩
16:45~17:45 発表(3):松本尚之(横浜国立大学)「民政移管後のナイジェリアにおける政治実践と文化的解釈:イモ州ンビセ地方における伝統的権威者の地位継承争いの事例から」
         コメント:三浦敦(埼玉大学)
17:45~18:00 休憩
18:00~19:00 総合コメント:名和克郎(東京大学)
         全体討論


☆発表要旨☆

【田沼幸子『革命キューバの民族誌』合評会】

 本書は、現在のキューバを国内外の当事者の視点から描く人類学的研究である。キューバ革命以来、「体制転換」は何度も語られてきた。しかし、それはすぐに覆され、忘れ去られ、ふたたび別の転換が注目を浴びる。内側に住む人々はその「革命キューバの日常」をどのようにとらえているのか。
 第一章「『新しい人間』をつくる――フィデルとチェの理想と現実」では、革命勝利直後の熱狂と、それが日常となるなかで生まれてきた問題に対して、革命家がどのように「人間」や「労働」を捉え直そうとしてきたのかを概観する。
 第二章「同志たちの愛と友情――創設フィクションとしてのキューバ革命」では、親密な場における語りを描く。人々は、革命家たちの私生活での愛や友情に関するうわさ話をする。その欠点は、必ずしも批判につながるわけではない。同じ人間として、その過ちを「許す」のだ。
 第三章「平和時の非常期間――ソ連なきあとの非常な日常」では、親密さを通じた革命への支持が、限界に達しつつある現状を描く。ドル所有の合法化、国際観光の推進といった政策の転換は、革命の理想とは大きく矛盾した状況を露呈させる。しかし、矛盾を公に語れない状況で、人々はダブルバインドにからめとられる。
 第四章「ポスト・ユートピアのアイロニー」では、ダブルバインド下にある人びとが、非常期間を笑う様子を分析する。それは、かつては自分も信じた理想が失われたことへの哀惜の念をともなうポスト・ユートピアのアイロニーである。
 しかし、国内で矛盾をやりすごすことに限界を感じる人びとがいる。映画『キューバ・センチメンタル』をもとにした第五章「ディアスポラとしての『新しい人間』」では、革命政権下で育った青年たちが、まだ見ぬ外国へと「希望移民」するさまを描く。
 第六章「アイロニカルな希望」では、今後、キューバで導入される移動の「自由化」が、見た目ほど「自由」ではないこと、国外のキューバ人らが、思うようにならない現実のなかでどのような構えによってこれを乗り越えていくかを展望する。


【神原ゆうこ「体制転換後の村落における社会変容と人々の意思と実践:『デモクラシーという作法』自著解題を兼ねて」】

 1989年に市民による社会運動の成果として社会主義からの体制転換を経験したスロヴァキア(当時はチェコスロヴァキア)において、民主主義という制度はその後の社会のありかたを方向付ける目標であった。その一方で、体制転換の恩恵を受けにくかった地域には、漠然とした不満が蓄積されている。本報告で注目するのは、体制転換後の世界への適応が困難であるとみなされがちであったにもかかわらず、EU加盟国の一員としての政治的な自律性を期待される村落の人々の政治的な価値観の変容である。本シンポジウムのテーマである「体制転換の人類学」に即して説明するならば、東欧諸国の体制転換の目的そのものである民主主義という理念と、それを支える市民社会というシステムのコミュニティレベルでの受容ないし適応について、本報告は文化人類学的な考察を試みるものである。
 体制転換後のスロヴァキアの民主主義を理念的に支えるのは、「国家に対抗する/国家に頼らず必要なことを自ら行う」アソシエーションの自由な活動によって成立する市民社会であるが、現実にはそのようなアソシエーションはごく一部である。地域の自治を民主主義の基礎をして重視するEUの政策と、ネオリベラリズムの影響を受けて進められた地方分権化は、社会主義時代からマイペースに活動を続けていた村落のアソシエーションに新しい時代の模範的「作法」を導入した。村に利益をもたらす活動ができるアソシエーションは、その自律性ごと村落政治に取り込まれ、そうではないアソシエーションは存在の意味を失いかねない状況にある。ここで「市民」としての論理が、対面的な人間関係を崩さないために有効であるとはいい難い。その意味で、スロヴァキアの村落は、市民社会に包含されているが、そのシステムに支えられているとは限らない。多様な経験を持つ個人の政治的な価値観を集合的に把握するには、これらの具体的実践に注目する必要がある。


【津田浩司「体制転換とインドネシア華人:『「華人性」の民族誌』への著者解題」】

 1998年にスハルト体制が崩壊したインドネシアでは、その後「改革の時代」の名のもと、中国や華人にまつわるとされる文化要素を公的な場で表出することが解禁されたのみならず、中国正月(旧正月)が国民の祝日となったり、孔教(儒教)が再公認化されたり、あるいは華人系として初の「国家英雄」が認定されるなど、従来抑圧されてきた華人を取り巻く社会・政治的環境は大きく変わったのは事実である。そしてこれらの達成を以て、体制転換とその後の民主化により、インドネシア華人は抑圧から解放され自らの文化を自由に表象できるようになりつつある、と肯定的な評価を下したり展望することも不可能ではない。
 しかし、人々の生活レベルを基盤に「華人であること」を考えた場合、上述の変化はいわばシンボリックな表象レベルのそれに過ぎないと見ることができる。5年前に上梓した拙著『「華人性」の民族誌―体制転換期インドネシアの地方都市のフィールドから』(世界思想社, 2011年)では、ある地方小都市において対面関係をベースにした相互認知の和として経験・イメージされる「華人コミュニティ」というものを仮の認識的足場として設定し、そこから超え出るようなあり方として観察される「華人であること」を批判的に捉える戦略を採った。本発表では、同書中で理論的な軸として設定した「顔の見える/見えない関係性」の対比を今一度強調しつつ、体制転換で伴い変わったもの/変わらなかったものの捉え方について、議論を喚起する。


【松本尚之「民政移管後のナイジェリアにおける政治実践と文化的解釈:イモ州ンビセ地方における伝統的権威者の地位継承争いの事例から」】

アフリカの民主化の動きは、1990年代以降に本格化したと言われている。冷戦終結の余波を受けて、多くの国で一党制から複数政党制へ、軍事政権から文民政権へ、政体の移行・移管が進んでいった。ナイジェリアもその一つであり、長い軍政を脱し1999年に民政移管を果たしている。そして、体制転換後の同国において、国民融和を図るための重要な方策として浸透したのが「持ち回り制」と「均等配分制」という2つの政治慣習である。
 ナイジェリアでは、民族・宗教・地域の対立が後を絶たず、国民の融和が重要な政治的課題となっている。「持ち回り制」「均等配分制」とは、これら下位集団・地域の融和を目的とし、重要な政治ポストを地域間で均等配分するとともに、順々に持ち回りする制度である。2つの政治慣習は、国内に広く浸透しており、州レベルや地方レベルでも、様々な政治ポストをめぐって同様の政治慣習が見られる。さらに村落内の政治においても、地方議員や自治団体の役員職、さらには伝統的権威者の地位までも「持ち回り制」「均等配分制」で捉える動きがある。しかし、「持ち回り制」と「均等配分制」は、法によって定めされた制度ではなく、あくまで人々の合意の上に成立する政治的慣習に過ぎない。従って、持ち回りの順番や実際の配分については、多様な解釈が成り立ち、そこに政治的な駆け引きの余地が生まれる。その結果、異なる解釈を支持する者同士の間で摩擦が生じ、それが紛争へと発展する場合もある。
 本発表では、ナイジェリアの三大民族の一つ、イボ人を事例とし、2つの政治慣習の草の根レベルでの実践を論じる。特に、イモ州の一コミュニティで起きた伝統的権威者の後継者選びをめぐる紛争を題材として用いる。もともと分節構造を持ったイボ社会では、2つの政治慣習は、下位分節の平等性を重視する彼らの「伝統」と結びつけて語られる。その一方で、住民たちが支持する候補者の正統性を論じる語りは、近年の議会選挙の結果を評する彼らの語りとも相関する。発表では、それら語りの分析を通して、イボ人たちが民政移管後の政治経験を如何に解釈し、自らの実践と結びつけているかを明らかにする。