社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

開会挨拶:深澤 秀夫(AA研)

定刻になりましたので、本日の公開シンポジウム「沖縄 今そこにある・今もそこにある/家族の危機・危機の家族」を始めたいと思います。はじめに、私はAA研の深澤でございます。一応このシンポジウムを企画した人間として、今日の公開シンポジウムの趣旨について、簡単に説明させていただきます。

現在の「家族」とそれをめぐる状況ということに関していろいろな問題が指摘され、様々な分野においてそれについて論じられています。それらを背景に、「危機と家族」という視点からシンポジウムを開催したいと考えました。特にこのシンポジウムの主催であるAA研の基幹研究、人類学専攻を中心に進められてきた「アジア・アフリカにおけるハザードに対する『在来知』の可能性の研究」、それから、西井さんが研究代表者として行われている科研費の基盤A「人類学的フィールドワークを通じた情動研究の新展開:危機を中心に」という主題に沿って、このシンポジウムを企画したということになります。

「家族」ということを論ずる際に常に問題として立ち現れる「家族とは何か?」という定義をめぐる議論から始めると、「普遍的な家族の定義は可能か否か?」という人類学における長い歴史をもつ議論に巻き込まれるとことになりますので、一応ここでは「家族」とは、沖縄地域を対象にした場合には、沖縄の言葉によって例えば「ヤーニンジュ」であるとか、奄美であれば「ヤーニンテ」であるとか、そういった民俗語彙によって指示される対象を扱うということにとどめておきたいと思います。とは言え、殊更に「沖縄」という地域を焦点化するわけではなく、あくまでも「家族」を論じる際の一事例を提供する地域として対象化しています。

個人的には恐らく家族問題というのは、「家族の普遍的な定義」については、その構成員等の視点からは定義不能であり、「内」と「外」、特に「ドメスティック 家内的」と「パブリック 公的」二つの領域の対立として語らざるを得ないのではないかと思っておりますけれども、今日はここではそのことについてこれ以上は述べません。それよりもむしろ沖縄、この場合は奄美まで含めますけれども、そこにおいて展開されているさまざまな家族の相貌、特に「家族をめぐる危機」と「危機をめぐる家族」の二相について、発表者の皆さま、コメンテーター、そしてここにお集まりいただいている皆さまとなるべく豊かな情報交換と議論をすることを目指したいと思います。

それでは、今日のプログラムの全体の構成について述べさせて頂きますと、最初に村松彰子先生の「家族とオガミとトイレ」、次に山内先生に「ヤーニンジュの変容と危機の家族:戦争体験と記憶伝承」を続けてご発表いただいた後で、休憩を入れます。引き続いて、石川先生の「奄美大島における人口減少と家族」、それから加賀谷先生の「高齢者をケアしているのは誰か:地域福祉の現場に見る家族の諸相」までのご発表を終えた後、少しまた休憩をはさんで、その後、國弘先生と四條先生にコメントを入れて頂いた後、引き続き全体討論に移りたいと考えております。