社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

発表1:「家族とオガミとトイレ」村松彰子(相模女子大学)

(深澤) それでは、村松彰子先生、「家族とオガミとトイレ」という題目でのお話をよろしくお願い申し上げます。

皆さん、こんにちは。相模女子大学の村松彰子と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。このような機会を与えてくださいまして、深澤先生、ご準備くださった皆様ありがとうございます。

今回のシンポジウムが「家族の危機・危機の家族/今そこにある・今もそこにある」というタイトルでのご依頼を受けまして、私にどんなお話ができるのかなと考えたのですけれども、そこでトイレをめぐるある家族の物語といったようなものを皆さんと共有させていただきたいなと思って用意をしてまいりました。

私自身が沖縄に行き始めたのは1998年の大学3年生のときからなのですが、卒論のために紅型という琉球王朝時代に歴史をさかのぼるといわれる染物をめぐる文化について学びたいというのが初発の関心としてありました。何もわからないまま職人さんの所へ出入りさせていただきまして、初めは紅型という染め物の技法や作り手の語りについての情報を得るだけで精一杯だったのですけれども、そのうち職人さんたちの伝統観ですとか、紅型を通して語られる「沖縄らしさ」について話を聞かせていただくようになりました。

夏休み、春休みなど限られた回数でも、行き来しているうちに「沖縄の文化について関心があるなら、ご飯を食べていきなさい」といっていただいたり、家の行事に一緒に参加させてもらったり、沖縄はクリスチャンの方も多いために一緒に教会に行こうという形でクリスチャンとして生きる人たちのところで話を聞かせてもらったりするうちに、暮らしぶりや信仰はさまざまに沖縄の家族の問題を耳にするようになっていきました。

日々の困り事や苦悩にどのように対応するのか。たとえば心身の痛みとか家族の問題に対応する場合に、いわゆる先祖などの超自然的な存在に対して関心を向けて問題の解決を試みるという世界観があることについては、先行研究では知っておりましたけれども、具体的にそういった問題と結びつくというような言動を見聞きするようになりまして、実際に沖縄で自分が関わる方たちとの関係性の中でそうした話を聞かせてもらうようになっていきました。たとえば心身に問題があったときに、病院にも行くけど、ユタヌヤーにも行くというようなことです。クリスチャンの方たちのなかにもかつてはすごくユタコーヤーしていたけれども今ではクリスチャンとして生きているという話も珍しくはありませんでした。どんな職業であれ、生きていく上での問題、お金の問題とか跡取りの問題とかDVとか、非行とか引きこもりなどがいろいろ起きるのは当たり前のことではあるのですけれども、「紅型をめぐる物質文化について学ぶ」と杓子定規に考えて沖縄へ通っていた私からすると、紅型をきっかけとしながらも沖縄の人びとの暮らしが少しずつ感じられるようになっていった時期だったのかなと考えています。

私が出入りさせていただいていたのは沖縄本島の那覇市や宜野湾市を中心とする地域に暮らす人びとのもとでした。ですから、当然のことながら現代医療も備えられていますが、心身に問題を抱えたときに病院に治療に通ったり、カウンセリングに通ったりするのは十分に可能な一方で、沖縄の世界観のなかで宗教的な職能者のちからを必要とする人びとがいること、その両方が成り立っているあり方に次第に関心を持つようになりました。

本日のシンポジウムのテーマにおいても、家族の問題というのは一概に定義できないと先ほど深澤先生がおっしゃっていましたけれども、私にはその定義は手に余ることですので、私の本日の報告の中では、沖縄の私が話を伺った方たちが語る家族について、具体的には本人の配偶者だったり、その子どもたちだったり、姻族を含めた親戚だったりという今生きている人たちのほか、祖先とか、生まれてこられなかった子どもたち、何らかの理由で亡くなったり、中絶したりということで亡くなった子どもたちを含めた死者、あるいはこれから生まれてくるような子孫、そういう人たちを含めて家族とさせていただきたいと思います。

※以下スライド併用(「#」はスライド番号ですが、本サイトでは当発表のスライドを掲載していません)


#2

お配りした資料にあるエピソードですが、そのようにして沖縄に通う中、20代、30代の人たちが集まったあるビーチパーティーで平良さんという女性から次のような話をききました。

平良さんの叔母家族が中古の家を買ったときのことです。家を買ったという話を知った祖母(叔母の母親、同居していない)が、宗教的職能者である「ユタ」の所へ相談に行ったところ、「その家の相が悪いと先祖が言っていて、このまま入居しては家族に何か起こる」と言われてしまった。祖母は叔母に知らせないまま、慌てて「ユタ」に拝ませると玄関の方角を変えれば問題がないという見立てがあったので、大工を頼んで玄関の位置を変えて元の玄関は閉じてしまったという話でした。その後、叔母家族は玄関の位置が変えられたことを知って驚いて怒ったけれども、祖母はといえば、「おばあは家族を守るために当たり前のことをしただけ。何を怒っているのか、お礼を言いなさい」と言って母娘で言い合いとなって、関係が悪くなってしまったのだそうです。玄関の工事は済んでしまっているし、ほかの家族も特別「ユタ」は信じていないけど、何か起きても困るからと、出入りに不便で、見た目もおかしな所につくられた玄関からみんな出入りしているということでした。

こうしたエピソードは何らかの形で沖縄に関わっている方たちだったら、沖縄の家族の問題に宗教的職能者が絡んだようないさかいを何らかのかたちで耳にされたことはあるのではないかと思います。超自然的な存在を前提とする職能者の見立てが現代の沖縄社会の中において力を持っていることが垣間見えます。本日は、さきのエピソードは笑い話になって語られてはいるけれども、当事者となる家族のあいだでどういう問題をはらんでいるのかということをここではみていきたいと思います。沖縄のある種の伝統的な民間信仰の担い手とされている宗教的な職能者のユタの見立てについては、依頼者とユタとの間ではある種の了解をえられて現実に玄関を動かしてしまうのだけれども、そのほかの家族の理解とはそれがまたずれてしまうことが多々みられるということです。そうした世界観のある種の枠組みというものを見ていくために、沖縄の民俗宗教の概況をよく知られてることではありますが、簡単に整理します。


#3

沖縄の民俗宗教については、伝統的とされる「祖先崇拝」を重視している方が多いとはよく言われています。琉球新報では「県民意識調査」が5年に一度、2001年から行なわれているのですけれども、それによると祖先崇拝を「重視している」と答えている人たちは9割を超えており、従来の研究で指摘されていることが、今日の沖縄の暮らしにおいても同様であると言えそうです。そして、火の神様「ヒヌカン」と呼ばれるようなカマドに対する信仰が多く見られます。日常生活においては、「仏壇」やカマドの神を大切にしていることは、私がお会いいしている方たちをみても、都市部でも田舎でも、アパートでも一軒家でも見られます。

その一方で、特定の宗派にこだわらないというような方たちも多いのは実感しています。それは法要に出席させていただくとよく感じるのですけれども、仏教の影響を受けて「仏壇」とか「位牌」とかいうものが取り入れられていますが、檀家になっている方々はほぼいらっしゃらないのです。そのため、弔いのためにだれに経を読んでもらうのか、七七法要をどうするかということも、「あのお寺の坊さんはお経がうまいと聞いたから」とか、家が近いからとか、安くやってくれると聞いたから七七法要は坊主を変えるなどと言ったことも聞きました。実際に葬式とその後の法要の宗派や寺が違うということを目の当たりにしたことも何度かありました。また、沖縄ではクリスチャン人口も多いとされています。那覇市内のある教会で、人口比で、日本全体では1%なのに対し、沖縄の場合は3%と聞きました。1回でも教会に来て名前を書いていった人をみんなクリスチャンとして数えているということも耳にしたので、数字の信ぴょう性はどこまであるのかわかりませんが、沖縄を車で走っていたり、歩いていたりすると、教会はあちこちで目にすることができます。

そういう中で、年配の女性たちと行動を共にする機会がおおいと、人々のさまざまな悩みに応える宗教的職能者「ユタ」と呼ばれている人たちの存在が際立っていると感じられることがあります。文献上でもそのように指摘されていることが多いですけれども、琉球王朝時代ら宗教的職能者の存在は為政者からはたびたび問題とみなされ、人を惑わす存在として弾圧を受けてきた歴史があるにもかかわらず、求められる存在であるということも事実としてあるのかなと思います。こういう職能者の人たちはある種の専門家と言えるのではないかと思うのですけれども、「超自然的な存在と一般の人との介在者となっている」という指摘はよく知られたところです。


#4

そうした沖縄の民間信仰の担い手である「ユタ」がシャーマンであるという指摘も問題がなかろうかと思うのですが、彼らが霊的な能力が高いという素養を持つというだけではなくて、心身の不調とか子どもの病気や何らかの大きな苦悩の経験から巫病に見舞われて、人によっては数年、あるいは数十年というような時間をかけてその災いの元をつきとめたり、あるいはそれを乗り越えるといった物語が作られていく過程の中で超自然的な存在とコンタクトが取れるようになっていくのもよく知られたことです。超自然的な存在とのコンタクトが取れるようになって自身の意識変容状態がコントロールできるようになるということ自体が、周りの人たちからの職能者として認められていき、自他ともに成巫したとみなされます。

こうした物語化はある種のパターンを持っています。祖先崇拝を軸とする沖縄の民間信仰において、人助けといいますか、超自然的存在とクライアントとの介在者としての役割を専門家として果たす立場をつとめられるようになると、それが生業として成り立つほどの大きな信頼を受けるような方がいます。その多くの場合は女性であるということもよく知られています。
職能者自身が成巫課程で病んだり苦しんだあとに力を得たという経験から頼っていく相談者がいる一方で、社会の中ではすごく毛嫌いされたり、公的な関心の外の存在であるというような扱いを受けることもままあります。そのために沖縄でうまれ育ち、暮らす人びとのなかにも、「関わったことがない、関心がない」とか、「ユタというのは嘘つきで金儲けのための仕事なのだ」などということも聞かれます。

けれども、こういうことをおっしゃっている方に個別にお話を聞いてみると、実はユタヌヤーに行ったことがあって大きな金額を使った経験があったりして、その方がそうした発言をする場がその人にとってどういう場なのかが問題となっている場合があります。立場上、「関心がない」とか「関わったことがない」とかと言うような方も多くいるように思います。このあたりはリタイアされている方かどうかとか、あるいは男性か女性かとか、そういったところとも密接に関わってくるのかなと思っております。


#5

一般的にどういうふうに言われているのかということも少したどっておきたいと思います。「沖縄県民意識調査」は、先ほども少し触れましたが、琉球新報社により行われている調査ですけれども、2001年から5年に一度、基本的には同じ設問の調査を実施することでその変容を分析する目的で行なわれています。

「生活意識」と「人間関係」と「儀礼、習慣」と「郷土意識」と「文化意識」と「社会・政治意識」の6分野で構成されています。質問が行われた後、集計されて、その調査があった翌年の元旦の琉球新報に特集として報告されているので、恐らく皆さんもご覧になっているかと思うのですけれども、標本数は2000程度で、有効回答者は、回によっても違いますが、その半分ぐらいという調査になっています。


#6

質問項目を参考までに挙げてみたのですけれども、先ほど六つの大きな領域がありますよということがあったのですが、2011年から30項目に増えるようになってちょっとずれたりもしていますけれども、私が今回の報告に即して関連していると思うのは、質問の4番、10番、11番、12番、13番、その辺だと思っています。4番は「これまで生きがいとしてきたことは何か」ということですけれども、一番多い回答が「家族の幸せ」となっているということと、それに付随して、次のスライドとも話をつないでいきたいと思うのです。


#7

幾つかデータを整理してみたのですけれども、これは2016年版で、一番新しいものなのですが、「大事な相談を誰としますか」という質問項目で、「親・子」と「配偶者」というのが多いです。一人につき三つまで回答できるので、それも加味して見ていただきたいのですけれども、答えの中で「親・子」と「配偶者」が約6割、「きょうだい」「友人関係」も約4割という形で、身近な人たちに大事な相談をしているというようなことがうかがえます。

これは私がお話を聞かせてもらっている方たちともある部分一致しているなと思うのですけれども、ここで出てくる中では「医師」「弁護士」などの専門家に相談するというのは1.7%となっています。「誰に何を相談するのか」というときに身近な親とか子ども、配偶者、きょうだい、あるいは友人、同僚というようなところが出てきて、専門家には相談数が少ないということがうかがえるのかなと思います。しかしながら、何を相談するかというのはここではちょっと分からないので、大事な問題といっても何を大事と考えているかもいろいろあるのかなと思います。


#8

さらにクエスチョン13番に「あなたはユタに悩みごとを相談しますか」というものがあるのですけれども、これは2001年の「沖縄県民意識調査」だから最初にされたときのものです。20代から70代までの方たちに質問をしたのがこちらのデータですが、、左側の黄色とオレンジになっているのが「よく相談する」と「たまに相談する」で、緑色が「あまり相談しない」で、水色が「全く相談しない」で、ちょっと紫が「分からない」となっています。上から20代、30代、40代、50代、60代、70代となっています。こう見ると、「あまり相談しない」と多くの方がどの年代でも回答していると統計上は言えます。


#9

#8が2001年ですが、最新版の2016年はこのような割合になっています。「よく相談する」、「たまに相談する」というのはもちろん相変わらず少数で、「あまり相談しない」「全く相談しない」「分からない」という中では、「全く相談しない」「あまり相談しない」というところがやはり分量としてはすごく多いのかなと思うのです。でも、前の世代のところと比較すると、2001年では20代のときにはゼロとなっている「よく相談する」という人たちが、2016年になると、3%いらして、15年前は20代の人はまだ小さい子どもだったわけですから、それよりも上の世代の人たちを見るよりも割と顕著なのかなと思うのですけれども、「相談しない」とだけも言えないのかなと思います。

結局のところ、その人がどういう文化的な背景をもつ家庭で育つのかという問題は大きいのだと思うのです。ですから、たまたま周りに相談をする方が多いようなおうちに生まれ育てば、もちろんそういう経験が馴染みのあるものとなります。私がお世話になっている宗教的職能者の方のおうちにも小さい子連れでいらしている方がものすごくよく見受けられます。それは多くの場合、女性たちが相談に訪れるということとも関わってはいるのですけれども、そういう意味では一概に少なくなっているとも言えないのかなと思います。ただし、少ないことは事実というようなデータがあります。


#10

さらに、先ほどまでは年代だけで男女比がなかったのですけれども、出ているデータを探して男女比のあるところだけ拾ってきたのですが、2001年は「よく相談する」「たまに相談する」の合計は男性が16.5%、女性は21.8%です。それに対して2016年は男性が8.7%で、女性は24.2%です。2001年の方は「全く相談しない」「あまりしない」が合算されているのが78%なのですが、2016年の合算された数字は私が調べられる範囲にはなくて、「全くしない」のみ探せたのですけれども、それが68.5%です。だから、「あまりしない」も入れるともっと多くなるのではないかと思うのですが、いずれにしてもそれなりの数で男女では差が出てくる部分もあるのかなと思います。

これは調査するのに、応答してくださった方の所に訪問してチェックをしていくというようなやり方をされているみたいなので、その話を聞いている場で他に誰かが同席していることがあったりするのかなとか、そんなところもちょっと気になることではありますが、一般的に女性の方が男性より相談に行く、年配者の方が若年者より相談に行く傾向にあるというのが言えるのだろうなと思います。あと、地域差があるということも言えます。統計上では「よく相談する」「たまに相談する」の合計が一番多いのが中部地域で、次いで宮古となっているようです。全体的に見ても、「ユタへの相談」というのは減っている現状にあると数字の上でも出ていますが、しかしながら、沖縄の伝統的な世界観の中でその必要性がなくなっているとまでは言えないのかなと思います。


#11

先生方がご存じのことばかり並べていて申し訳ないのですけれども、そういった状況を踏まえて、一般的なデータも踏まえて、沖縄でユタの判断を仰いで、オガミ、あるいはオイノリと表現する人もいますけれども、それをするというのがどういうことなのかということをこれから少し考えていきたいと思います。

これまで見てきましたように、「ユタは信じていない。でも」というようなところが沖縄でお話を聞いていると見えてくるところです。「身近な人が亡くなったときに口寄せしてもらったことがあるよ」と、クリスチャンの方たちでもユタのもとに行ったことがあるという経験も大きな数を占めているように私は聞き取りの中では感じています。あるいは家族のハチウンチ(初運勢)を見てもらいに毎年自分の家の年配の女性がユタの所に行っているという方がいます。

これは私の研究の中でもしばしばみられるのですけれども、ご本人がユタコーヤーに行っていなくても、ご本人の分もその方のことを思うどなたかが、多くの場合は母親だったり、おばあさまだったりするのですが、あずかり知らない所で見てもらっているということはあるのかなと思います。だから、ああいう統計的なものに出てこない部分というのが話を聞かせてもらっていると感じられる部分ではあります。それは沖縄ではよく知られていることですが、年配の女性たちが家、あるいは家族を守るという役割を担っていると感じているという方も多いことと、最初の方の質問項目の中に「家族の幸せ」「生きがい」というものが一番に出てきたということもありますが、そことも接続できるのかなと感じます。

こういう形で宗教的な職能者の「ユタ」の存在というのは、時に「沖縄のカウンセラーみたいなもの」と語られるように、悩みごとの相談相手、ある種の問題に対してはとてもふさわしい相談相手とみなされて、その苦悩や災いという問題の原因追及としてのある種の専門家としての判断とその解決のためのオガミがセットとなっていると言えるのだろうなと思います。

私が拝見したり、聞かせてもらったりしている限り、その相談やオガミに発生する謝金というのでしょうか、お金は3000円程度から、オガミになると5万、10万という額まであります。何をどういうふうに見てもらったり、拝んでもらったりするかによっても変わってくるということですけれども、かなり幅は広いのかなと思います。一般的に相談に行く方の謝金の方は低くて、オガミに行ってもらうという、職能者自身を伴ってどこかにオガミに出かけるという方が高額になっています。日当みたいなものも含まれているのかなというような感じの額になっております。

こういう状況を踏まえてですけれども、そのおうち、あるいはその家族をめぐってさまざまな問題というものが日常生活の中で起きるのですけれども、それを先祖と結びつけて理解するというような認識の仕方、あるいは謝金の額です。家1軒が建つぐらいユタに使ったという方もたまにいらして、お話を伺っていると、数十年にわたるオガミの話を聞いていると、実際に本当におうちが建つなというような方もいることを思うと、過度な謝金の支払い等をめぐって、ご本人だけではなくて、それ以外の身の回りの方たちと対立してしまうということは間々あるように感じます。


#12

事例にたどり着くまですごく時間を使ってしまったのですが、ここからトイレをめぐる家族の話ということで、上原慶一さん(仮名、70代、二男)とそのご家族のことをお話ししたいと思います。今朝もこのおうちの方と電話をしてきたのですけれども、新しい情報といいますか、準備していたときとまたちょっと違った状況になってきたなということがありましたのでそれもできる範囲で付け加えながらお話ししていきます。

この方は二男なのですけれども、上原家は上の世代の人たちも含めて、沖縄の伝統的な祖先崇拝を重視して、行事を大事にしている方です。それにもかかわらず、30年ほど前に慶一さんが40代の働き盛りに倒れてしまうというような状況があり、西洋医学的な治療のかたわらで、奥さんと娘の一人が熱心にユタ通いをすることで快復したのだそうです。暑いなか工事現場で働いていらしたそうなので、熱中症みたいな形で倒れられたのかなと思うのですが、ご本人がいらっしゃらない所で奥さまがお話ししてくださったことには、何を言っているのかわからなくなってしまい、しばらく精神科に入院するということがあったそうです。そもそもはユタの所に通うというようなことはしたことがなかったと奥さまはおっしゃっていますが、娘さんが心配して探してくれた所に通ってオガミを続けるうちに良くなったので、「あれ」の力はすごいと思うようになったとおっしゃっていました。

そうした間に子どもたちが結婚したり、孫が生まれたりしているのですが、20年ほど前からは妻が体調不良になっています。最初はリウマチのようです。畑仕事とか、子育てとか、豚を養って売るとか、店の経営、親せきづきあいなど多くを一人でこなしていたにもかかわらず、行動が痛みで制限されて、次第に外出すら難しくなってしまったそうです。妻がだんだん動けなくなってしまうという最中、子どもががんでお亡くなりになるということも起きました。

この娘の病気に端を発して、自宅の屋内のトイレを壊して外に作り直すということをされています。家は1980年代に建てられたコンクリート屋で、かつてトイレがあった所にはタンスなどが置かれているのです。初めてお邪魔した際に、何か不思議な間取りだなと思っていたら、それは娘さんの病気があったことによって中にあったトイレを外に出したということが後に分かりました。この時、ユタの見立てによって屋内のトイレを壊し、外に出すことにほかの家族の反対はなかったそうです。

慶一さんの「ユタ通い」は、娘の病気平癒のためということもあり頻繁になって、支出もどんどん増え、一生懸命頑張って祈ったにもかかわらず娘をうしなうという結果となってしまいました。その後もユタ通いは続いていたようですが、いまから7年前、妻が、本土に子どもたちのもとへ出かけた先で倒れて意識不明になってしまったのでした。リウマチに加えて糖尿病をさらに患うことになってしまったうえに、慶一さん自身の病い、内臓の手術もすることになってしまったということで、家庭内の健康不安が大きくなっていました。妻の意識不明の際には一時危篤となって、本土までご本人が駆けつけたのですけれども、「これはご先祖様からの知らせ」として、すぐに沖縄に戻って判断を受けて、オガミを繰り返していました。「その祈りが通ったおかげでお母さんは助かったから、それはお父さんのおかげだ」といった発言は、娘の前や私(発表者)の前でもみられました。


#13

そのさらに、3年前ですが、慶一さんの妻が自宅で転倒して骨折するということが起きました。リウマチも患っているので動きがなめらかではないのですが、気を付けていたのに玄関で転んでしまって、長期入院とリハビリということまで起き、慶一さんのユタ通いはまた頻繁になっていました。

このとき、妻の退院に向けて介護保険を使って家中の手すり設置のほか、室内トイレの整備を周囲は試みるわけですけれども、慶一さんはトイレの基礎工事まですすめておきながら、オイノリの結果、神様の許可が下りないと言ってからというもの、オイノリにでかけるのに一生懸命で、トイレを仕上げないままでした。ブロックを積み、壁をつくる準備もしてあって、トイレの排水側の所まで行っているのだけど、そこから進まない。妻が安全に生活するためのトイレだから早く作るように説得するもうまくいかず、娘や息子たちと揉めていました。じつにその後7年に及んでトイレの建設は中断されて、室内のトイレではなければ安全に暮らせない妻は、住民票もうつし、娘の家で暮らすことになってしまったのでした。

ところが、2019年の夏にたずねると室内トイレができていました。毎年、何か月かに1回の沖縄に行くたびに様子をうかがいにいくたびに「まだトイレをつくる許可が(カミサマから)でない」と言っていたのに、それが長年のオガミの結果、許可が神様から下りたといって、妻の部屋続きの所にトイレが完成していたのです。そうやって自宅が整うことによって、慶一さんは2019年12月の末に妻が自宅に戻り、同居を再開できました。こうしたトイレの設置をめぐる7年のあいだには、母親の介護や父親との意見の相違から子どもたちの仲が悪くなったり、親子がさらにもめたりしていたものの、ようやく家族間に落ち着きがみられるようになっていました。


#14

こうした家族の災厄をめぐって自宅トイレの改装が何回か行われてきた上原家ですけれども、トイレでもめた一つの理由は沖縄で語られるトイレと魂との関わりにあるのだと思うのです。「マブヤー」と呼ばれる魂は、驚いた拍子に身体から離れてしまうというのですが、トイレからであれば本人らが呼び戻すことができるというような表現がされることがあります。慶一さんは、自宅トイレの位置が風水的にみて悪かったことが子どもをうしなったという悲しみに結びついていると考えていることもあり、トイレをどこにどのように備えるのかという問題というのはとても大きなことでした。そのため、たとえ妻が帰宅して安全に暮らせるようになるためだという家族の説得とか、医師とかソーシャルワーカーの説得によっても、簡単にトイレをふたたび屋内に設置するという考えに至らなかったのですが、それを後押ししてくれたのは、「カミサマからの許可」だったということでした。


#15

上原家の間取りは、資料のように左下に玄関、入って居間、奥に台所、今の右手に一番座、さらに二番座となっており、沖縄の家でもよくある作りです。もともとあったトイレは赤字で示してある所、娘の病気をきっかっけに屋外に作り直したトイレは台所の横から裏側へ出ていった先にトイレが和式でありました。その後、妻はリウマチを患い、ひどくなるにつれて外への移動やしゃがむのが難しくなったために、寝室のベッドの横にポータブルトイレを置いていました。屋内トイレがポータブルだったらいいののかと慶一さんに聞くと、「いいさ。それはお水がつながっていないからいいさ」ということだったのですけれども、新しくできたトイレは寝室の隣のタンス置き場にできていました。妻の骨折のあと基礎まではできていた場所ではどうしてもカミサマの許可がおりなかったとのことでした。


#16

家族を想うあまりに生じる<ずれ>ということで、家族の危機ということから、この上原家の問題をいま一度考えたいと思います。慶一さんは、家族に起きているさまざまな問題を祖先崇拝と結びつけていました。妻や子どもたち家族としては、慶一さんが家族の問題を取り除こうとしてユタと関わるようになっていることは認めてきました。同時にお金をすごくたくさん使い込んでしまっていることを心配し続けてもきました。いずれにしても慶一さんが家族の危機に立ち向かってきた/いるということは承知している。しかしながら、夢見とか身体の痛みとか、起きる出来事をことごとく「神様からのメッセージ」と受け取ってしまったり、オイノリ/オガミに数万単位をたびたび使ってしまったりという現実に戸惑いを見せていて、子どもたちが入れ代わり立ち代わり、じっくりと意見しようが、怒って意見しようが、聞き入れられずにいました。


#17

それは家族にとっての<現実>と慶一さんの<現実>というものにずれがあるのでしょう。家族の問題を解決しようとオイノリに励んでいるのが分かってはいるのだけれども、それがむしろ家族、妻との問題や子どもたちとの問題をさらに抱えることになってしまっていることがうかがえます。職能者の表現に、カミサマに関わることは「過不足がないように」というものがあるが、そうした認識からいうと、慶一さんはご家族との間でも宗教的な職能者との間でもずれをみせることがままあるようです。


#18

以上の話を家族というところから少しまとめてみたいとおもいます。最初は玄関を移してしまうというエピソードから話をはじめ、上原家のトイレの移設といった話へとつながっていきました。いずれにしても「ユタ」に相談した結果、かなり無理なことであっても、家族に悪いことが起こることへの警戒や災厄への対応として、家族への「想い」からきたこととしてある意味「仕方がない」こととして、トイレを動かす、あるいは玄関を閉じるということが、あいだでも受け入れられてはいます。

しかし、「ユタ」を介した祖先崇拝をめぐる世界観というものが家族内にもめごとを起こしていることも、また事実だと言えます。ただ、その「もめごと」は、それ以前の子どもが亡くなるということや家族への災いによる危機に対処する過程として起きていることは、注視すべきではないでしょうか。祖先祭祀にかかわるもめごとが起きはているが、その「もめごと」を家族の危機と読むよりは、その危機に際しての「もめごと」が、家族への「想い」によるものなのだということをある種の<ずれ> とともに家族の側も「共有」できるものにしているのではないかと考えております。

それは祖先祭祀や世界観の共有が家族を一つにまとめているというよりは、共有されていない現状において、家族の危機が祖先祭祀の言葉に伴なって表現されることで「もめごと」が発生していくということが頻繁に見られるのですが、そういった<ずれ>を伴う「想い」への共感が、ここでは「家族」をある意味つなぎとめているともいえるのではないでしょうか。まとまらないままですが、以上で私の報告を終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


(深澤) 村松先生、ありがとうございました。最初に紹介しましたとおり、一応本シンポジウムは、奄美・沖縄の言語的・文化的・社会的内容についてある程度の基礎知識を持つ方を対象としています。発表者の方々、それからコメンテーターの四條さんについては、松村先生のお話の内容を大体理解できてしまうのですけれども、今日初めて奄美・沖縄についての話を聞かれた方の中で、村松先生の話に限ってこの点をちょっと説明してくれると分かりやすくなるのだけれどもということがありましたら、その点についてだけ質問を受け付けたいと思います。何かありますでしょうか。およそ内容が分かるよう村松先生には丁寧にお話していただいたと思いますけれども、いかがでしょうか。内容的に大丈夫でしょうか?


(フロア) 村松先生、お話ありがとうございました。ユタについて教えていただきたいのですけれども、ユタに相談して、間取りに関して何かいじるということは比較的多いことなのかどうか。間取りということというのは、つまり、風水と関係しているのか、ユタの人たちの対処法として風水を重視しているのかというのを教えていただきたいなと思います。


(村松) ご質問ありがとうございます。説明不足で申し訳ありません。 渡邊先生のご研究にもありますように、沖縄で風水というのは重視する方たちがいます。トイレは排泄の場ですが、家を身体にみたてると入り口が頭のほうで、排泄するトイレは出口となるところへ作った方がいいという説明をされたことがあり、沖縄的な風水の見立てがあり、それにそぐわない間取りだと災いが起こるという考え方があるようです。沖縄の世界観のなかでは連続する問題とされているために、職能者のなかにも風水にかかわって家相を見てくれたり、間取りを見てくれたりする方もいます。


(深澤) ありがとうございました。