社会性の人類学的探究 トランスカルチャー状況と寛容/不寛容の機序

コメント2:四條真也(首都大学東京)

(深澤) では、続けて、四篠さんにコメントをお願いします。四條さんは、フィールドはハワイにおいてハワイ系の人々の調査をされているのですが、ご自身のルーツが奄美にあるため、その一方で奄美の研究もされているということで、コメントをお願いした次第です。では、四條さん、お願いいたします。

ご紹介いただきました四條です。よろしくお願いします。深澤先生にもご紹介頂きましたが、改めて簡単に自己紹介をさせていただきます。私が今しているのはハワイ研究ですけれども、文化人類学を始めたきっかけというのが、両親が元々奄美群島の出身だということがあります。私自身は関東でずっと育ったわけですけれども、時代の中でちょうど沖縄ブームとか、そういうものが学生時代に起こりました。私の親世代はどちらかというとシマの文化を避けていたのに対して、私やイトコたちの世代が、もっとシマ文化に関心を持つような、そういう状況が身近にありました。そういうことも重なって、大学では文化人類学の中でも特に奄美ということについて、フィールドワークもして修士論文を書きました。博士課程になって、いろいろもう少し広く見てみたいなということで、同じテーマで、土着性であったり、ハワイの場合だと先住性という言葉になりますが、そういうものの普遍的な状況を見てみたいということで、現在はハワイの先住民社会をテーマにして研究をさせていただいております。奄美からハワイにフィールドは変わっていますが、自分の中では問題意識・設定というものはあまりずれてはいなくて、ただ地域が変わっただけという風に考えております。いずれはハワイで見て考えた状況と沖縄奄美の状況とをシンクロさせて、あるいはつなげて、何か新しい提言なりにつながればいいなと思っているところです。

早速、コメントに移ります。全体の発表を伺った感想というかコメントを最初にしたいと思います。今日の4名の先生方のご発表というのは、新たな親族論への提言のみならず、理系・文系双方の人類学における家族という機能の発生動機に関する試みとして拝聴しました。例えば家族の発生動機としては、これまで西洋で中世以降キリスト教倫理でも影響を受けた、生殖のための最小単位としての家族、そういうものが理想化され、本質化されてきたような状況があると思います。ただ、今回のシンポジウムのご発表から家族というものを考えてみますと、家族というのは関係性に基づく家族も含めてですけれども、危機に直面したときに結束する、あるいは結束を促されるような、その危機にあらがう最小単位として発生したということを想起させるような提言だったと感じました。

ここから各先生方へのコメントを少しだけさせていただきたいと思います。まず村松先生のご発表です。私としては沖縄の状況ということで聞きやすい発表でしたので、すごく楽しく拝聴しました。村松先生の発表を私なりにまとめてみると、家族というものの存続のために行き来、あるいは困り事の解決方法を模索すること、ご発表の中では「想いを共感する」という言葉で表現されていたと思います。模索することで、家族という枠組みが逆に立ち上がってくるということについての発表だったと理解いたしました。ご発表の中で触れられていた危機という状況下で、家族という枠組みが、沖縄の場合には特に浮き彫りになってくるということがよく分かる事例を提示いただけたと感じております。

この沖縄の家族に関して私の受けた印象あるいは思ったことですが、根底にはやはり祖先祭祀、祖先崇拝のモデルとしての互酬関係というものが、現在でも意識されているのではないかなと思っています。今回の事例からは、祖先からの恩恵というものをどのような形で受け取るかに関して、家族内、個々人の解釈によるずれ、そういうものに起因した家族というものが、再帰的認識されるような状況というものを、一例を通してご説明いただけたと思っています。コメントはもう少し書いているのですが手短にこれくらいにしておきます。

その中で、私が気になった部分というか、村松先生に伺いたい内容というのがあります。例えば沖縄などの状況ですと、多宗教的な状況があるということをご説明いただいたと思いますけれども、祖先の意思、祖先崇拝における互酬関係の中で祖先の意思を解釈する中で、個人の判断、それはユタとかノロとかに影響されないような、個人の主観とか判断というものはどの程度尊重されるのかということを、ひとつ伺ってみたいなと思っています。専門的ではない解釈、個人による解釈の存在意義というものが、村松先生が見た範囲の中でどの程度意識されているかというのを教えていただければと思います。

次に山内先生のご発表ですけれども、社会的ハザードの共有が地域社会におけるメンバーシップの一つの要素としての役割を担っているというご発表だったと理解しております。ハワイの状況などとも重なる部分がとても多くて、例えば戦争の記憶であったり、戦争体験の伝承というものに関して言うと、アメリカの本土であったり、ハワイでその戦中、特に太平洋戦争、真珠湾攻撃以降に起こった日系人の収容、そういうものとの共通点があるのかなと思っております。

現在ハワイでは、歴史的な記憶を、特に日系人社会の中で次に継承しようという試みが行われているのですけれども、その中で注目されているのが、ハワイで実際に存在していた日系人の収容所がよく取り上げられています。2000年代以前の状況だと、地元の人の話では、ハワイでは日系人の収容所はなかった、ということがよく言われていたのですが、2000年代の後半になって、実際に日系人の収容所があったのだという話が突如広まるわけです。その背景にあったのは、収容を経験した当事者の方たちが、戦後はむしろその記憶を隠すような状況があったと言われています。自分たちの身に起こった悲劇というものがトラウマのようになっていて、なかなか次の世代には伝えられないということがあったのですが、それが2008年以降ぐらいになって、次の世代がその記憶をどんどん掘り起こして次に伝えていこうということが、政府の取り組み、あるいは日系人コミュニティーの取り組みとして行われているという状況があります。

そういう社会的ハザードを共有することによって、コミュニティーが結束すると次の世代が先代、過去の意識を共有するということが起こるのではないかなと思うと、沖縄の現在の戦争体験の共有とかそういう類のものは、世代をつなぐ一つの重要な要素になるのではないかな、と拝聴しながら考えていました。

あともう一つだけ、山内先生がご質問くださったことでもありますが、世代感覚に関して、年齢がとても意識されるような状況がシマ社会にはあるというお話について、私の知っている状況を少し話したいと思います。特に奄美地域にあるような状況ですと、若い世代の人たちがシマ社会から距離を置くような状況というのは、私の周囲を見てもよくあることです。ただ、そのシマ社会から離反したような人たちが、またそれぞれ若い人たち同士で、例えば同期会のような同じ学年同士の人たちの集まりというものを作って、これはインフォーマルなものが多いのですが、その中でお互いに情報交換をするようなことが、特に島外の都市部などでよく見受けられます。もちろん島内でも同期会はかなり盛んでして、東京の郷友会などよりもむしろ活発に機能しているような状況が、私の身の回りではここ10年ぐらいあります。

その同期会というのは結構排他的な組織でして、学年が一つでも違えば参加できないというところがあります。私も少し興味本位で、「一つ学年が下の同期会に行ってみたいのだけれど」という話をしたときに、「絶対駄目だ」と言われました。その同期会というのが実はシマ社会、島におけるような物理的、地理的空間をかなり超えた状況を包括できる、そういう組織でもあるのかなと思っております。学年が同じなら、奄美群島出身者なら誰でもいいと。島が違ってもいい、片仮名の「シマ」でも漢字の「島」でも問題ない。ただ、学年は絶対この学年ということがあります。また、特に若い世代が感じるような島特有の世代間の人間関係のある種の煩わしさや、そういうものに対するアンチとして同期会というものがかなり水面下では活発になっているような印象を最近は受けております。限られたミクロな状況ですが、こんな状況があります。

次に、石川先生のご発表ですけれども。私自身の祖母が石川先生の調査をしている地域出身ですので、ひらとみ祭りなどの事例はとても具体的なイメージを想像しながら話を伺わせていただきました。発表の中では、さまざまな要因を背景とした危機に関して、集落内の伝統的なつながりを基盤とした、かつての取り組みを紹介してご発表いただけたと思います。私なりに、なぜこのようにシマ社会が危機に対応できる状況があるのかということを、先生のご発表を伺いながら一緒に考えてみました。先生自身もおっしゃっていましたけれども、やはり島を何とかしたいという地元の人の思いがあるということは、とても重要なことだろうと思います。

加えて、恐らく今日は時間の関係で割愛されたのだと思いますけれども、島内だけではなくて島外の出身者組織の存在もまた、重要になっているのではないかと感じます。本土のことは「内地」という言い方をしますけれども、奄美以外、九州、四国、本州、北海道にいる奄美出身者の人口と、奄美島内に住んでいる人口というのは、比べてみると恐らく島外に住んでいる人口の方が圧倒的に多いと思うのです。各都市・地域で、奄美の場合郷友会(ごうゆうかい)という言い方をしますけれども、郷友会が活発に活動しています。それに加えて、先ほど申し上げたような同期会のような横のつながりを維持している若い世代の集団もあるわけです。そういう人たちが折に触れて、災害のときもそうですけれども、募金活動をしたり、あるいは、今はふるさと納税ですか、そういうもので支援をしたり、ひらとみ神社の場合には、確か昭和30年代に現在の東京奄美会が募金活動をしてひらとみ神社を再建するような活動もあったと聞いています。ですので、島内プラス島外からの働き掛けもかなり重要なのではないかなと感じています。

さらに島外のネットワークというのは、シマ社会の延長のような役割も果たして、言ってみれば、奄美地域、奄美社会が日本各地にディアスポラをしているような状況として捉えることが出来ます。地域、シマ、島に限定されている奄美というものだけではなくて、地理的空間を超えた奄美というもので、現在の奄美社会というものが支えられていると考えることができるのかなということを、先生のお話を伺って改めて実感しました。

次に加賀谷先生のご発表ですけれども、親族研究史の流れの中でも、特に親族への関心が構造から過程に移った、モダニズムからポストモダニズムへのパラダイムシフト以降の親族研究に位置付けることができるご発表だったと理解しております。その上で血縁ではない関係性による、小池先生や出口先生は「多元的な」という言い方もなさっていますけれども、多元的な親族関係の可能性をケアという領域につなげた貴重なご発表だったと感じております。あと、発表いただいた事例の中には看取りに際して、解決法を模索する家族同士の姿というものも描かれていましたけれども、村松先生のご発表にもあったようなもめ事との共通点もあり、伝統的な規範が重視されつつも、その解釈には個々人の意思も反映されているということがとてもよく分かりました。

発表のまとめとしては、儀礼的、象徴的空間で看取ることによって、現地の死生観、世界観に、ケアを担うスタッフたちの実践を帰結させる状況についてご説明いただけたというふうに思っております。とてもフレッシュな事例をご説明していただいて、これからまたいろいろな議論につながる内容だと感じました。
その中で、これからのその議論につなげていくための一つのヒントとなるような質問をしたいと思います。本当に短い時間の中で発表していただいたことですので、おっしゃっていないことたくさんあると思うのですけれども、私の本当につたない理解のもとでの質問だということを、ご承知おきいただければ幸いです。

二つ伺いたいことがあるのですけれども、まず一つ。スタッフが自宅での看取りを勧める状況についてご説明していただいたわけですが、もちろん儀礼的象徴的空間に還元させるということも十分あるのかなと思ったと同時に、「すむづれの家」がやはりサービスである、制度の中のシステムであるということも重要なのかどうかということも思いました。つまり、制度なので自宅で看取るということを勧める、そういう状況はあるのかどうか、ご存じである状況があれば教えていただきたいと思いました。

もう一つですけれども、ケアなさっているスタッフの方々が地元の伝統的な考え方に則したような看取りを提言するということに際して。ご発表のレジュメの中では、ある種、無自覚とも言えるような状況で行われているとご説明がありましたが、ご紹介くださった事例などを見ているとやはり地元との交渉、在来在外の価値観との交渉というものが見え隠れするような状況がありました。それが果たして無自覚なのか、あるいはある程度自覚をして選択をしているという状況なのか、そのことに関してもう少しだけお話しいただければありがたいなと思います。取りあえずは以上です。

(深澤) 四條さん、ありがとうございました。